そして無しょくになる

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androidはガラケーの夢を見るのか

その昔、ガラケーのOSが開発の足枷だと騒がれていた時期があった。機種ごとの違うOSを作るかカスタマイズするので開発費用がかさむからだ。

誰もが統一されたOSの上で開発をすれば、アプリやサービスの互換性が保たれて開発も楽になると言われていた。

そして登場したのがandroid。WindowsPhoneやiPhoneと違って無償(とはいいけれないが)で使用できるうえにGoogle提供なので品質も折り紙付きだ。アップデートもしてくれるうえにアプリの配布も楽。これでみんなが楽しいケータイライフを送れる筈だった。

しかし現状は変わらない。差別かというなの身勝手かつ無意味な開発は続く。覇権争いをしているようで単に昔の風習に今の技術を合わせているという本末転倒っぷり。i-modeを過去のものにする動きはつい最近だ。

さらにスマフォを基準に考えたために一部では通信網の脆弱性が露出している。ガラケー時代には考えられない通信料がケータイ3社にのしかかっている。

いまおもう。なぜスマフォにこだわる?みんなやっているからだというのが理由だろう。一度はスマフォのようなガラケーも出たが下火になった。でもガラケーの良さは消すべきだったのか?

今の日本のスマフォはiPhoneのパクリ以外に意味を持たない。これでは何のためのandroidか。